デザインをしていると、ときどきこんな言葉を耳にします。
- 「なんとなく、こっちのほうがいい」
- 「この色のほうが好きだから」
- 「このレイアウトのほうが格好いい」
もちろん、偶然から面白い表現が生まれることはあります。
でも私は、デザインそのものは偶然であってはいけないと考えています。
- なぜ、その色なのか。
- なぜ、その形なのか。
- なぜ、そこにボタンがあるのか。
そこには、何かしらの理由があるはずです。
今回は少しだけ哲学の話から、そんな「デザインの存在理由」について考えてみます。
「人間は最初から何者か」ではない
フランスの哲学者、ジャン=ポール・サルトル。
彼の思想を象徴する有名な言葉があります。
「実存は本質に先立つ」
いきなり難しいですね。
でも、考え方そのものは、それほど難しくありません。
サルトルは、人間には生まれた瞬間から決められた「本質」があるわけではない、と考えました。
人間はまず、この世界に存在する。
そして生きながら、
- 何を選ぶのか
- 何をするのか
- 何を大切にするのか
- どのような人間になるのか
を自分で決めていく。
つまり、
人間は先に存在し、そのあとに自分自身をつくっていく。
これが「実存は本質に先立つ」という考え方です。
人間は、真っ白な紙のようなもの
とても単純化して言えば、人間は最初、真っ白な紙のようなものなのかもしれません。
そこに何を書くのかを、自分で決めていく。
- 会社員になるのか
- デザイナーになるのか
- 何かをつくるのか
- 誰かを助けるのか
もちろん、生まれた環境や社会など、自分では選べない条件もあります。
それでも、その中でどう生きるのかを選択していく。
だからこそ、人間は自由である。
そして同時に、自分の選択に責任を持つことになる。
サルトルの実存主義には、そんな考え方があります。
では、デザインはどうだろう
ここからが、今回書きたかった話です。
私は、デザインは人間とは逆なのではないかと考えています。
人間の場合は、
実存 → 本質
です。
まず存在して、そのあとに自分が何者なのかをつくっていく。
しかしデザインは、
本質 → 実存
なのではないでしょうか。
先に「何のためにつくるのか」があり、そのあとに形が生まれる。
たとえばWebサイトなら、
- 「商品について理解してもらいたい」
- 「問い合わせにつなげたい」
- 「迷わず申し込みを完了してもらいたい」
といった目的があります。
そこから、
情報の優先順位を決め、
導線を考え、
文字の大きさを決め、
色を選び、
ボタンの形や配置を決める。
つまり、画面が生まれるより前に、その画面が存在する理由がある。
それが、デザインにおける「本質」なのだと思います。
デザインは偶然ではなく、必然である
そう考えると、私にとってデザインとは、
人間が目的を定義し、その目的を形として実存させたもの
だと言えます。
- なぜ、この色なのか
- なぜ、この大きさなのか
- なぜ、この場所なのか
- なぜ、この順番なのか
それぞれに理由がある。
もちろん、制作の途中で偶然の発見が起こることはあります。
偶然試したレイアウトが良かった。
たまたま組み合わせた色がきれいだった。
そんなことは私にもあります。
でも、その偶然をそのまま採用するのではなく、
「なぜ、こちらのほうが良いのか」
を考える。
そこで理由を見つけ、目的との関係を説明できるようになったとき、偶然はデザインに変わります。
だから私は、
デザインは偶然ではなく、必然である
と考えています。
美しさは「目的」ではなく「結果」かもしれない
ここでもうひとつ、面白いことがあります。
デザインには「機能美」という考え方があります。
これは、美術作品のように最初から「美しいものをつくろう」とするのではなく、機能を追求した結果として美しい形が生まれるという考え方です。
たとえば、
- 持ちやすい道具
- 無駄のない椅子
- 合理的につくられた建築物
- 目的に合わせて削ぎ落とされた工業製品
それらは、必ずしも芸術作品としてつくられたものではありません。
それでも、機能を突き詰めた形に私たちは美しさを感じることがあります。
そして、その結果として、本来は道具だったものが美術館に展示されたり、古い工業製品や生活用品が美術品や骨董品のような価値を持つこともあります。
これは、とてもデザインらしい現象だと思います。
美しさを直接つくろうとするのではなく、目的に対して正しくつくろうとした結果、美しくなる。
そこにも「必然」があります。
「美しくする」のではなく、「なぜ美しく見えるか」を考える
だから私は、デザインを単純に「見た目をきれいにする仕事」とは考えていません。
色彩、形、余白、比率、配置、文字、リズム。
さまざまな造形要素について、
なぜ、この形が美しく見えるのか。
なぜ、この配置が理解しやすいのか。
なぜ、この色の組み合わせが適切なのか。
その原理を探り、目的に合わせて応用する。
そして最終的には、
- 商品を理解してもらう
- サービスを使いやすくする
- ブランドへの理解を深める
- ユーザーの行動を助ける
- ビジネス上の課題を解決する
といった現実の目的につなげていく。
私にとってデザインとは、
造形の原理を理解し、それを目的のために応用する方法論
でもあります。
単に「美しくする」ことが目的ではありません。
なぜ、その形なのかを考え、目的に対して最適な形を導き出す。
それがデザインなのだと思います。
「好きだから」ではなく、「なぜなのか」
これは、この連載「虹色のタコになれ!」でずっと書いてきたことにもつながります。
私は以前から、
- 「自分が好きだから」
- 「自分はこちらのほうが格好いいと思うから」
だけでは、デザインの理由として十分ではないと考えてきました。
- 色彩
- 構成
- 視覚生理
- タイポグラフィ
- 情報設計
- インタラクション
- アクセシビリティ
- ガイドラインと改善
「虹色のタコ」の8本の足は、すべて、
なぜ、そのデザインなのかを説明するための判断材料
でもあります。
ユーザーは誰なのか。
何を伝えるのか。
何をしてもらいたいのか。
どのような状況で使うのか。
その本質を考えてから、形をつくる。
だから、業界やユーザーが変われば、デザインも変わる。
虹色のタコのように、環境によって姿を変えていけばいい。
大切なのは、自分の好みや作風を守ることではなく、
「何のためにつくるのか」を見失わないことです。
AI時代だからこそ、「本質」が重要になる
そして、この考え方はAI時代になるほど重要になると思っています。
今ではAIに、
- 「格好いいWebサイトをつくって」
- 「高級感のある画面にして」
- 「今風のデザインにして」
と伝えるだけでも、それなりに整ったものが出てきます。
しかし、
見た目が整っていることと、デザインされていることは同じではありません。
なぜ、その画面が必要なのか。
誰のためにつくるのか。
ユーザーに何をしてほしいのか。
何を解決したいのか。
この「本質」が曖昧なままAIにデザインさせても、生成されるのは「それらしく見える何か」です。
逆に言えば、本質が明確ならAIは非常に強力です。
目的があり、
判断基準があり、
その上で形をつくる。
これは、私が考えている「デザインハーネス」にもつながっています。
AIに自由にデザインさせるのではなく、
目的と根拠というハーネスをつける。
そうすることで、AIが生成する大量の選択肢の中から、目的に合ったものを判断できるようになる。
AI時代のデザインで重要になるのは、もしかすると「つくる力」以上に、
何をつくるべきなのかを定義する力
なのかもしれません。
本質を持たない人間が、本質をつくっている
ここまで考えると、少し不思議な構図が見えてきます。
サルトルの考え方では、人間は先に存在し、そのあとに自分自身を定義していきます。
一方でデザインは、先に目的を定義し、そのあとに形として存在する。
つまり、
本質を持たずに生まれた自由な人間が、デザインの本質を決めている。
人間は自由だからこそ、
- 「こんなものをつくろう」
- 「この問題を解決しよう」
- 「こんな体験を生み出そう」
と考えることができる。
そして、その意思が形になったもののひとつが、デザインなのではないでしょうか。
「なぜ?」からデザインは始まる
だから私は、デザインを見るときも、つくるときも、
「きれいか」
「格好いいか」
より前に、
「なぜ、こうなっているのだろう?」
と考えたいと思っています。
そして自分がつくったものに対しても、
「本当にこれでいいのか?」
と疑ってみる。
- なぜこの色なのか。
- なぜこの形なのか。
- なぜこの情報が必要なのか。
- なぜここに置くのか。
その問いに答えられなければ、まだ考える余地があります。
デザインとは、自由に好きなものをつくることではありません。
目的を見つけ、
その目的に合った形を探し、
理由を積み重ねていく。
その結果として、ひとつの形が現れる。
だから私は、こう考えています。
デザインは偶然ではない。
目的から導き出される、必然である。



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